忍法・浮足

忍術の秘伝書『万川集海(ばんせんしゅうかい)』に載る、11人の忍び上手のうちの2人。
伊勢阿山群下柘植郡(三重県伊賀市下柘植)に住んでいた。
忍術使いの格好からすると下忍というが、忍術の技術では、
実力的に中忍(中忍とは何人かの下忍を率いる小頭)より
下忍のほうが上手であった忍者もいたという。
木猿は木申とも書く。
また、木猿は太郎、小猿は八郎と称した。
小猿は子猿ともいった。
この2人、親子なのか兄弟なのか、同郷に住む他人なのかはわからない。
おそらく同郷の者で忍術がうまく、体の大きい方を木猿と呼び、
体の小さい方を小猿と呼んだのであろう。
猿という名前の通り身が軽く、葉の茂る樹木に登り身を隠す術を得意とし、
葉を全く揺るがさずに、枝から枝へ移動する術をつかっていたという。
足掛かりのない大木に登る場合、忍び刀を大木に立てかけ、
四角な鍔(つば)に足の指をかけて飛び上がり、
枝に取り付いたところで下げ緒を引き上げ刀を取り戻すのが忍者の常である。
『万川集海』の「利便地十二ヶ条」で小猿は伊勢の田(丹)倉城(三重県)に忍び込んだ時、
城への水通しの桶の中を這って城内に潜入し、放火して落城させたという。
普段、小猿は 猿楽師(猿回し)」として活動しており、その猿を他の家に進入させて、
家の木戸を中から開けさせたりしていたという。
同書の「見敵術四ヶ条」で、木猿は屋敷の中で敵将の居場所がわからず、
犬がうるさく吠える真似をして敵将を怒らせ、野良犬を追い払おうとする敵将の大声で
居場所を確かめ、その部屋に忍び込んで敵将を討ち取ったという。
下柘植 子猿・木猿は猿飛佐助のモデルで、
『水戸黄門』に出ていた「柘植の飛猿」もそうだという。
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