奇跡の癒やし つづき

1867年2月16日、
ウリュージュ近郊の村、ヤーベッケに住むペーテル・デ・ルッデルという農夫が、木から落ちて、
左足を折った。脛骨など、すなわち向うずねとふくらはぎの骨が折れたのだった。
折れた骨片はいくつにもなり、脚を動かすと、
−最初に治療に当たった医師たちのいうところによれば−
袋に入れたはしばみの実さながらに、互いにぶつかり合う音が聞こえるほどだったという。
折れた骨片を組織から取り除くと、傷あとには、損傷を受けずにすんだ2本の骨が、
3センチメートル間隔で残っているのがみとめられた。
この時代には、防腐法は知られていなかった。
包帯できつく縛っておいてもだめだった。
膿の中に浮いている2本の骨は、ついにつながれることがなかった。
足の下半分は、上半分との接続がなくなって、
ボロ切れのようにぶらぶらと、振れ動いているのだった。
不幸な男を診るため次にやってきた外科医たちはいずれも、
不治の症状だと宣告を下し、最終的に、
ブリュッセルのティリアール教授に診断を仰ぐと、
脚の切断をしてはどうかという意見だった。
デ・ルッデルは、嫌だと言った。
これで8年以上も、おそろしい痛みに苦しんできたのだった。
日に何度も、血膿が流れ出てやまぬ傷の包帯を取り代えねばならず、
なんとか松葉杖にすがりついて、身を引きずっているというふうだった。
そんな彼が、オオシュタッカーの噂はかねてから聞いていた。
聖母の癒やしをお願いしに行こうと思いついた。
1875年4月7日、
3人の男が彼を、ヘント行きの列車に乗りこませた。
ヘントへ到着すると、オオシュタッカー行き普通列車に乗り換えさせた。
病んだ脚は幾重にも包帯を巻かれていたが、
リネンを通して膿と血が染み出て、列車の座席を汚した。
聖母像の前へ着くと、少し休憩をとり、お水を一口いただき、
他の巡礼者と同様に、洞窟を3度まわることにした。
妻に助けられて、2度までは回ったのだが、力尽き、
疲れ果ててベンチにへたりこんだ。
ルルドのノートル=ダムに、お救いくださいと訴えていると、
とつぜん、意識を失って、自分がどこにいるのかわからなくなった。
ふと気が付くと、聖母の真前にひざまずいている自分を見出した。
立ち上がった。
びっこも引いていなかった。
2本の脚は、同じ長さになっていた。
この不思議は、フランドルに非常な反響をまきおこした。
22人もの医師が、かかりきりになった。公正を期して、カトリック、
不信仰者の双方の側から、細心丹念な調査が企画され、実行された。
彼の治療に当っていた全臨床医、彼の出発の日の傷の状態を見たことのある
ヤーベッケ村の全住民、奇跡の現場にいたすべての人たちが、尋問を受けた。
デ・ルッデルは、厳密をきわめた検査に付された。前例のないこの事実、
一瞬のうちに傷がひとりでに癒やされた事実、
祈りに続いて3センチメートルの骨片が瞬間的に生じて、
欠けていた骨の代りとなった事実の真正性を認めねばならなかった。
確かに、骨の継ぎ目に当る部分には、
これが幻にたぶらかされたものではなく、
間違いなく帯びたしみが残っていた。
このあと、20年が経過したが、癒やされた方脚はついに折れ曲がることもなく、
他の健全な方の脚にくらべて丈夫さの点で劣るところもなかった。
そして、デ・ルッデルは1898年3月22日、75歳で肺炎にかかって死んだ。
次の年の5月24日、彼の脚に防腐処理をほどこすことになった。

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