春過ぎて夏来るらし 白妙の衣干したり 天の香具山

父の祖先は真田流忍者、母の祖先は伊賀流藤林党忍者。そんな両親をもつ早紗のブログです。 


パリ・奇跡のメダル教会 - メダルをありがとう・・・


奇跡のメダル教会  Chapelle Notre-Dame de la Médaille Miraculeuse


奇跡のメダル教会
Chapelle Notre-Dame de la Médaille Miraculeuse


140 rue du Bac 75007 Paris
tel : 01 49 54 78 88
メトロ : 10番線又は12番線 Sèvres-Babylone



◇◆◆◆◇◆◆◆◇◆◆◆◇ 奇跡のメダル教会とは ◇◆◆◆◇◆◆◆◇◆◆◆◇


1830年7月18日から19日にかけての夜、
聖母は当時、聖ヴィンセンシオ・ア・パウロの愛徳姉妹会の
修練女、カタリナ・ラブレの前にお現れました。
夜半の11時半、カタリナは、3度続けて自分の名を呼ぶ声に目を覚ましました。
声のする方を見ると、一人の幼い子どもが立っていました。
白い衣をまとい、金髪で全身から光を発し、周囲を照らしていました。
子どもは、「いらっしゃい、聖堂にいらっしゃい。聖母マリアが待っていらっしゃいます。」と言いました。


カタリナは他の姉妹達が目を覚まさないかと内心考えましたが、
子どもはそれに答えるように、
「恐れることはありません。今は皆眠っています。さあ、一緒にまいりましょう。」と言い、
カタリナは急いで用意し、子どもの後について行きました。
驚いたことにいたるところに灯が輝いていました。


さらに驚いたことには、聖堂の扉は子どもが軽く指で触れるだけで開きました。
聖堂内も明るく、カタリナの言葉を借りて言えば、
夜半のミサを思わせる程だったといいます。
カタリナは祭壇近くまで進み、ひざまづいて祈りました。
しばらくすると子どもは告げました。
「聖母マリアがおいでになりました。あそこに」と。
その時、祭壇の右手の方に衣づれのような軽い音がはっきり聞こえ、
非常に美しい婦人が祭壇の前においでになり、椅子に腰かけられました。
カタリナはその方の足元に進み、膝の上に両手を合わせてのせました。


「一生涯でこれほど甘美な気持ちを味わったことはありません。
どのくらいそばにいたかはわかりませんが、ただ知っていることは、
ずいぶん長い間お話をなさってから影のように見えなくなったことです。
子どもはもとのところに居て『聖母はもうお帰りになりました』と言い、
また案内されて寝室に戻りました。
この子どもは自分の守護天使であったに違いありません。
ベッドに戻ると時計が午前2時を打つのを聞きました。
それから私は少しも眠ることができませんでした」
とカタリナは言っています。


その夜、聖母はいくつかの事についてお告げになりましたが、
特に、聖ひつの方を指さして「この祭壇のもとにいらっしゃい。
ここで多くの恵みが与えられます」とおっしゃいました。


11月27日の夕方の黙想の間に、
カタリナは再び聖母のご出現を受けました。
同じ聖堂で地球の上に立った姿の聖母は、
それより小さい地球を胸の高さに両手で持って祈りつつ、
それを主にお捧げになっているように見えました。
やがて、聖母が両手を広げて降ろされると、
その御手から輝く光線が放たれ、聖母はカタリナに、
「これは私に願う人々にそそがれる恵みのしるしです」とおっしゃいました。
これは有力な恵みの取り次ぎ者であるマリアのお姿です。
そして聖母の周囲に楕円形のしるしが示され、
「無限罪の聖マリア、あなたにより頼むわたし達のために祈ってください」
という祈りがまわりに見えました。
それは、メダルの表に見られるお姿でした。
聖母は、
「このモデルにしたがって、一つのメダルを作らせなさい。
信頼をもってそれを身につける人は大きな恵みを受けるでしょう。」
とおっしゃいました。
急にメダルが裏返ったかのように見えると、
下部に横木のついた十字架をのせたMという字が見えました。
また、Mの下に二つの心臓が見え、ひとつは茨に囲まれたイエスの御心、
もうひとつは剣で貫かれたマリアの御心が見えました。


ご出現が2年目にパリ大司教の認可のもとにつくられたメダルは、
世界中に驚くべき勢いで伝わり、数知れぬ恵み、
特に回心の恵みのもととなり、人々は「ふしぎのメダル」よ呼ぶようになりました。


※上記説明は全てサンヴァンサン・ド・ポール愛徳修道女会礼拝堂教会が提供しているものです。


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奇跡のメダル教会  Chapelle Notre-Dame de la Médaille Miraculeuse





ボン・マルシェの
裏にある門をくぐると・・・










奇跡のメダル教会  Chapelle Notre-Dame de la Médaille Miraculeuse





手前右側の部屋でメダルを
購入でき、奥の薄暗い所が
聖堂入り口です










奇跡のメダル教会  Chapelle Notre-Dame de la Médaille Miraculeus





祭壇です









確か、パリに住んで初めて奇跡のメダル教会へ行ったのは、
書店でよく売られている“フランス観光案内”みたいのを
現地の書店で読んだのがきっかけでした。


それまでフランスには何回か観光で訪れていましたが全く知りませんでした。
そのような建物といえばノートルダム寺院くらいで・・・.。


本を読み終えて、パリで知り合いになったインド人のシスターが、
確か“奇跡のメダル教会”にいると言ってたのを思い出し、翌日行くことに決めました。


とにかく小さな教会なのに市民がいっぱいお祈りをしに来ているのに驚き、
とっても心が落ち着く所だなと私は感じました。
その日は知り合いのシスターはいませんでしたが、
その日以降に訪れる時は毎回いたのでお互い挨拶をしていました。


奇跡のメダル教会に何度も訪れてていたにも関わらず、
肝心なメダルは買わなかったのですが、
ある日、日本にいる大切な人が大怪我により手術することになったため
私は二週間程、一時帰国することとなり、帰国前に奇跡のメダルを
教会で買ってあげようと思い教会へ向かいました。
私はマリア様に手術が無事におえますようにとお祈りするため
その大切な人の写真を持ち門をくぐったら、知り合いではないシスターと目が合い
私の所にニコッと笑いすぐに近寄ってきてくれました。
私は一言も喋っていなかったのですが、私の顔を見てきっとシスターが何かを感じたのでしょう。
私は“こんにちは”という挨拶の後に、
「今日は私の故郷にいるとても大切な人が手術をするためやって来ました」と
写真を見せながら言いました。
そしたらシスターは写真を見せて下さい、と手に写真を取りお祈りを捧げてくれました。
そして、シスターはちょっと待っててと私に言い残し、建物に入っていき、すぐに戻ってきて、
私に金色のメダルを差し出してくれました。
私は、「いえいえ、これは買わないといけません」と言ったら私の手の中にギュッとしまいこみ、
「いいの、これは私からです」とおっしゃってくれ、私はありがたく頂きました。
本当に嬉しかった。


そして、写真とシスターから頂いたメダルを手に持ち教会内の椅子に座って、
静かにお祈りとともにシスターとマリア様に感謝し、教会を後にしました。
一時帰国後、大切な人にメダルをあげたら、これ欲しかったの!と言われとてもビックリし、
シスターがくれたんだよって教えてあげました。


奇跡のメダル教会へ私が行き、シスターからメダルを頂き、
前から欲しかったという大切な人に私が手渡した。


フランス〜日本とっても遠い場所ですけど一つの物語が始まっていたんですね。
シスター・私・大切な人、そしてマリア様が一つのちっちゃなメダルつながりました。
メダルが愛の輪を今もこれからもずっとつないでくれています。
すべてに感謝。ありがとう。


奇跡のメダル

奇跡のメダル教会 (Chapelle Notre Dame de la Médaille Miraculeuse)



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奇跡の癒やし つづき


ルルドの泉


ルルドのライヴ映像(6分おき・15分おきの最新映像)が見れます。



1867年2月16日、
ウリュージュ近郊の村、ヤーベッケに住むペーテル・デ・ルッデルという農夫が、木から落ちて、
左足を折った。脛骨など、すなわち向うずねとふくらはぎの骨が折れたのだった。
折れた骨片はいくつにもなり、脚を動かすと、

−最初に治療に当たった医師たちのいうところによれば−

袋に入れたはしばみの実さながらに、互いにぶつかり合う音が聞こえるほどだったという。
折れた骨片を組織から取り除くと、傷あとには、損傷を受けずにすんだ2本の骨が、
3センチメートル間隔で残っているのがみとめられた。


この時代には、防腐法は知られていなかった。
包帯できつく縛っておいてもだめだった。
膿の中に浮いている2本の骨は、ついにつながれることがなかった。
足の下半分は、上半分との接続がなくなって、
ボロ切れのようにぶらぶらと、振れ動いているのだった。


不幸な男を診るため次にやってきた外科医たちはいずれも、
不治の症状だと宣告を下し、最終的に、
ブリュッセルのティリアール教授に診断を仰ぐと、
脚の切断をしてはどうかという意見だった。


デ・ルッデルは、嫌だと言った。
これで8年以上も、おそろしい痛みに苦しんできたのだった。
日に何度も、血膿が流れ出てやまぬ傷の包帯を取り代えねばならず、
なんとか松葉杖にすがりついて、身を引きずっているというふうだった。


そんな彼が、オオシュタッカーの噂はかねてから聞いていた。
聖母の癒やしをお願いしに行こうと思いついた。


1875年4月7日、
3人の男が彼を、ヘント行きの列車に乗りこませた。
ヘントへ到着すると、オオシュタッカー行き普通列車に乗り換えさせた。
病んだ脚は幾重にも包帯を巻かれていたが、
リネンを通して膿と血が染み出て、列車の座席を汚した。


聖母像の前へ着くと、少し休憩をとり、お水を一口いただき、
他の巡礼者と同様に、洞窟を3度まわることにした。
妻に助けられて、2度までは回ったのだが、力尽き、
疲れ果ててベンチにへたりこんだ。


ルルドのノートル=ダムに、お救いくださいと訴えていると、
とつぜん、意識を失って、自分がどこにいるのかわからなくなった。
ふと気が付くと、聖母の真前にひざまずいている自分を見出した。

立ち上がった。

びっこも引いていなかった。

2本の脚は、同じ長さになっていた。


この不思議は、フランドルに非常な反響をまきおこした。
22人もの医師が、かかりきりになった。公正を期して、カトリック、
不信仰者の双方の側から、細心丹念な調査が企画され、実行された。
彼の治療に当っていた全臨床医、彼の出発の日の傷の状態を見たことのある
ヤーベッケ村の全住民、奇跡の現場にいたすべての人たちが、尋問を受けた。
デ・ルッデルは、厳密をきわめた検査に付された。前例のないこの事実、
一瞬のうちに傷がひとりでに癒やされた事実、
祈りに続いて3センチメートルの骨片が瞬間的に生じて、
欠けていた骨の代りとなった事実の真正性を認めねばならなかった。


確かに、骨の継ぎ目に当る部分には、
これが幻にたぶらかされたものではなく、
間違いなく帯びたしみが残っていた。


このあと、20年が経過したが、癒やされた方脚はついに折れ曲がることもなく、
他の健全な方の脚にくらべて丈夫さの点で劣るところもなかった。


そして、デ・ルッデルは1898年3月22日、75歳で肺炎にかかって死んだ。
次の年の5月24日、彼の脚に防腐処理をほどこすことになった。




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奇跡の癒やし


ルルドの泉


ルルドのライヴ映像(6分おき・15分おきの最新映像)が見れます。


フランスでは、ルルドの泉奇跡のメダル教会が有名であるが、
ベルギーのヘントから5キロメートル、
シュローテンドリーシュ公園の中央部に位置する
オオシュタッカー聖堂は風変わりである。


1870年、
シュローテンドリーシュ城館の所有者だった
クールトブルヌ侯爵夫人なる人が、人口の洞窟を作ることに決めた。
庭園内にその場所を決め、工事が始まった。オオシュタッカーの主任司祭、
モレルス師が、ルルドの洞窟の絵を公爵夫人に見せたということがあり、
夫人は、作り岩のセメントの塊の中にひとつの凹所を作っておき、
そこにルルドのそれを模した≪無原罪のお宿り≫の像を安置することを思いついた。


1871年、
すべての工事が完了した。


3年後、
村の何人かの農夫が聖母のもとへ祈りに来るという出来事があり、
その結果、理由はわからないのだが、何千人という人々がここを訪れ、
いくつもの奇跡が続々と起こった。


記録されている最初の奇跡は、1874年2月12日、
ロークリスティという町に住む、10歳の少女、マチルデ・ウェルキンペに起こった。


彼女は足が悪くて、松葉杖なしで歩けなかった。
ヘントの病院の全部の医師が、彼女は治るはずがないと宣告を下していた。


母親は、洞窟へ娘の治癒を祈りに行き、
そこで配られているルルドのお水を持ち帰って、
9日間の祈りが果てるとき、少女は、瞬間的に癒され、
聖母のもとへ、歩いて感謝をささげにいくことができた。


奇跡は、相次いだ。通常、洞窟の周囲を3度まわる。
水槽から落ちる泉の水を、自分の体に擦りこむ。
水の中には、毎朝、ルルドの源泉が数滴注ぎ入れられる。
ありとあらゆる種類の疾病(たとえば、股関節痛や失明など)が、
この水に触れるとただちに消失した。


1875年5月、
巡礼者たちの要望にこたえて、ゴチック様式の、
袖廊なし、2つの鐘楼付きの教会が建てられた。
巡礼団への奉仕は、ベルギー地区のイエズス会の神父たちにゆだねられ、
オオシュタッカーは、フランドルの有名地となった。


ルルドと同様に、何千本もの蝋燭が燃え、
洞窟の上の木立ちの間に感謝奉納板のいくつもの山ができた。


次回は、もっと詳しく、この地で、前代未聞の、
いまだかつて観察されたことのない癒しが果たされたお話をします。




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